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くうくうく

 人は実は 自分が自分を一番笑わせられる  ことができる、パフォーマーやと思ってる☆ 

ぁァ何でこんなにちょォ遠い‥。 



注意/もちろん、画像は私ではありません。ネットより拾い物です(-_-;)
ひとつよしなに。


本文
↓↓↓

以下は松尾スズキさんの
ロッキンオンジャパン社が出した
『この日本人に学びたい』という
かなりまえの本である
長くなるが
引用させてもらう。  


 “ ・・・ しかし自分のことを書くには越えねばならないハードルがある。
自分を書くに勇気を要さない
むしろ書きたくてしょうがないという人もいるが、
とても恐ろしいことであると思う。

かつて尊敬する俳優である柄本明さんは
私にダメな俳優の演技を語る際
こんなことを言った。

「みんなどうあがいたって
客の前で『何か』をやったりすることは不幸なことであるのに、
なぜああも舞台で幸福であろうとするのだろう。
幸福でいられると思っているのだろう」

まさに。

人前で「何か」をやらずに過ごせたら、とても私は幸福である。
 
他人に自分の意見をこのような場所で披露せずに生きてゆけたら、
とても私は幸福である。

名もなく「豊かに」美しく、生きてゆけたらもう、
誰彼かまわず私は、千円あげよう。

幸せを見ず知らずの人に分け与えるに妥当な金額である。千円は。

今はそれほど幸せではないので、
誰にも千円あげないが、
いつかそんな千円王国が私に訪れたならば。
などと夢見る私なのである。

松尾スズキ。

という名前が、人前にさらされる。

松尾スズキ。の顔が、雑誌にテレビに舞台にさらされる。

そうして私は飯をかろうじて、やっと食う。
 (中略)

自分にしか興味がない人間が背負った十字架を引き摺り、
不幸の丘へと私はよろめき歩く。

生きる、ということが
 「人前でなんかやる恥ずかしさ」
というものと
最もダイレクトにつながっている
この道を往く、この不幸。

子供の頃はもちろん今のこういった生活にいかにも子供らしく憧れた。
「もちろん」と思わず言ってしまったが間違いではないと思う。

子供はいつだって光の当たる場所に出たがる生き物だ。

「缶詰会社の奥まった部署で一生社史編纂の仕事にうちこみたい!」

考えとしてはむしろ正しいが
子供の夢としてはなかなかに不健康だ。
(中略)
・・・

大学が終わる頃、
私は全ての夢から覚めつつあった。

・・表現する、ということが、
憑物が落ちたように何か、とてつもなく恥ずかしくなったのである。

・・私は東京でサラリーマンになった。こうなったらもうとことんサラリーマンで行こうと心に決めた上京だった。
サラリーマンになりつくそうと思った。
サラリーマンをしゃぶりつくそうと思った。
(中略)

とにかく私は、表現することをやめて、虹を見ることに専念した。
人前に出ないでいられる安全、という幸せにかかる虹を。
それはそれとして、なにはともあれ。
一年と続かなかった。

その後、いろんなバイトを経験したがどれも三ヶ月ともたず、にっちもさっちも行かなくなって、私はある女の人に食べさせてもらうことになった。
二年ほど。
その間、昭和が平成になったりもした。
その女がある日ごろごろとテレビゲームばかりしている私にポツリと言ったのだ。

「あんた芝居しかほめられたことないんだったらもう観念して芝居やんなさい」 

そして大人計画ができ、私は生まれて初めてその時、松尾スズキになった。
同時にこの「不幸」の道を歩き始めた訳である。

これだけは自信がある。
私は不幸に飛び込んだのではない。
不幸から逃れられなかったのだ。
なんの自信かよくはわからんがとりあえず今私は不幸に祝福されている。と思う。

(中略)

現在私は文筆業者であり役者でもある。
ぞっとし続けている。
そして、毎日、この不幸にかかる虹を見ている。

でも、不幸にも、
不幸にだって虹がかかるのだ、
という事実だけは、
ちょっぴり幸せなことであると思うのである。 ”

 テキスト 
『この日本人に学びたい』松尾スズキ・著
より 引用。 

1999年に私は
この本を読み打ちのめされる。

幾つかの意味でだ。
あ、二つ、かな 。

ひとつは言わずもがな 
圧倒的な文才だ。

いや正確にはこの文章を文才といっていいのかはわからないが
少なくとも この私には
 天地をひっくり返すとはこのことだ、という表現力となって
松尾スズキの文章が私に入ってきたのである。
違う世界からきた人のように
それまで読んだことのない、だが
そうこれをすごく読みたかったんだ私は!
 としか言い様のない、
ファンタスティックな文章の書き手として。

もうひとつは
“不幸”の定義である。
こんな圧倒的な才能を持っている人間が、
人前でなんか表現することを 
不幸なことだとしている。

つまり、
他のことでは生きていけない自分を 認め、受け入れざるを得ない限り
もう食べていけないようだ俺は、

ってとっから始めた時
たった一粒最後に残った種が
表現すること、
だった。
これは決して幸福なことではないだろう。
別の言い方をするなら
天(何か)からやらされているわけである。自分がイニシアチブを握り自分の意志のようなものを尖らせ磨き目指して辿り着いた目的地ではなかったのである。

 松尾氏は子供の頃は確かに
今の仕事に近いようにみえるコメディアンや漫画家に憧れ目指していたものの(だけど、私と全然違うのは氏は高校大学と出版社に応募した漫画が賞の最終候補にまで残ったことがあるのである。) そのような子供の見そうな夢を
叶える自分の姿に案の定
途中で頓挫し、それはやがて挫折へと連なり全てを諦めきったときに
先程の最後の一粒、人前でなんかやることだけが目の前に残されていた。

←つまり、これほどまでの
余計な苦悩が付加されるのである
こんなに文才があるひとが。

私はお手上げであった。

私は前から何度も書いているが

認められたくて自己表現をしてきた人だった。
ひとびとに褒められたくて。

そうすれば
幸福な気分になれるとでも思っていたのだと思う。

なんかよくわからんが

いつの頃からか今の自分では全然足りない
この劣等感を埋めたい
もっと褒められたい
もっと認められたい
という焦燥感が凄まじかった
もしかしたら同級生の間では私は認められていたのかもしれなかったが
でも足りないんだよ
てか
嘘つきな自分が同時に嫌でもあった。
人から褒められるために
本意じゃないこともイイ人のふりして
優等生のふりして呑み込んでいた

もっとどす黒くエロくエグいことを意地悪く考えているのにそれをバレないように
ただ我慢するみたいに隠す。 
まぁ忙しく疲れきっていたが許容しようと励むだって私はもっと理想の人になって、もっと評価され認められ
腹黒い自分も自覚しながらブスなのに頑張ってよし、イイコだったねがんばったね、と
いつか王子様に助けてもらうのだ。
みたいな。


←とはいえね、
こういうことを書き晒すことにさえ
才能が実は要るのだと、
投稿しても採用されない(←奇しくもロッキンオンジャパン社の雑誌にね(笑)) 自分の不甲斐なさにもうにっちもさっちもいかなくなるのだ。

ああなるほど。
松尾スズキ氏の独特の文章のレベルには
到底届かない。真似しても実はこれは文才ではなく
松尾さんの生き方がうんだグルーヴだと気づくのはもう自分が十分に中年になり王子様とか言ってることは
  世では非難の対象となるような
いかがなものか、な死ぬまで言ってろな対象になるような年齢になるまで
自意識過剰と戦っていたのである。


まぁだが結局これが
いわゆる
松尾スズキ氏がこの引用した文章の最初の方に指摘した

“自分のことを書くには越えねばならないハードルがある”とかいた
ハードルに奇しくも相当し
もしかしたら、ここまで生きながらえた私は自分のことを書く不幸にかかる虹を見てもいいのかな。と

ようやっと
考えているのだ。

もしもなんなら
関ジャニ∞という虹でも。
ってカンジニ・・。(感じに(照) )



長々とどーも失礼しました。

おつきあい頂き感謝します!




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