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くうくうく

 人は実は 自分が自分を一番笑わせられる  ことができる、パフォーマーやと思ってる☆ 

『皆殺しのバラッド』 



6月28日(日)

桜坂劇場のポイントが貯まっていたので
換算し、無料で観ることができた
 『皆殺しのバラッド (原題/Narco Cultura)』〜メキシコ麻薬戦争の光と闇〜 
というドキュメンタリー
(実はドキュメンタリーだとは知らないで見ていた私( ̄▽ ̄;))


ちょっとチラシから抜粋します。 
 【 2000年代後半から現在(2014年2月)に至るまで、12万人の犠牲者を生んだといわれるメキシコ麻薬戦争。
 それはカルテル(麻薬組織)だけでなく、軍や警察、また一般人をも巻き込み まさに戦国時代といえる様相を呈している】
 そんな異常事態が発生しているメキシコとアメリカ(テキサス州)との国境の街、シウダー・フアレスの警察官リチは、
年間3000件という膨大な数の殺人事件の捜査に日々追われている。

黒覆面で出動するのは
報復からどうにかして身を守るためである。

しかしいくら現場で証拠集めをしても 多くの事件はそのまま放置され
下手に深く関わると、自身の命はおろか家族も同時に危険にさらされる。  にもかかわらず リチは
生まれ育った自分の街を見捨てることができず、
家族の反対を押しきって
解決も捜査のメドもたたない警察官の仕事を続けている。 
 非合法のカルテルは、警察や軍を買収し捜査を阻み、従わないものは
容赦なく処刑してきた。
リチの同僚も四人がすでに殺害されていた。 

 一方ロサンゼルスの歌手エドガーは、メキシコの麻薬王たちの武勇伝を
『ナルコ・コリード』 という歌にして、北中米の若者から熱狂的な人気を集めている。

 レコードの売り上げはうなぎのぼり、麻薬ボスからのチップも懐に入る。 「俺たちは次のヒップホップ」 と
息巻く彼らの勢いはとどまること知らない。

 そんな二人の男の物語を中心に、狂気の世界の全貌が描かれる。
 
 メキシコ麻薬戦争という想像を絶する暴力に満ちた世界を、
ロバートキャパ賞受章の戦場フォトジャーナリスト、シャウル・シュワルツが描きだす
傑作ドキュメンタリー。

ー抜粋終了ー

 とにかく異常事態である
こんな場所があるのか?てくらい狂っている。
殺されっぱなしなのである。
麻薬組織に関して係わりのあるひとはおろか
無い人までもが被害者になり
しかも
警察や科学捜査機関もあり、
遺留品や死体から手がかりを見つけながらなお、犯人の捜査すら始められない(一応政府はカルテルに宣戦布告しているがそれが却って殺戮強度を強めている)
たしかに戦場なのだろう
無差別に殺されるというならテロリズムもそうだろう

だが
この映画でリアリティがあるのが
こんな残酷で野蛮なことをしている麻薬組織の一味のことを英雄視している人々も実は多く、
こと若者は一旗あげたい、
男して認められたい、という欲望から、
女子ならそんな権力(てゆーか暴力による支配か)つまり、金と武器と武勇談をもつ男の女になりたいと思う子達が少なからず存在している、という人間分布の有り様である。

必ずどちらの側にも
理由が生じるのである。

やられる側で
泣き寝入りしっぱなしでいるくらいなら
やる側になって
すくなくともやられる側より自由を手にし勝利者のように感じられる、
みたいな
そんな極めて相対的な
あくまでも短絡的ではあるが
たしかにひとつの小賢くも健気な知恵として 
本当は麻薬組織にたいして抱いているかもしれない憎悪と
己の無力さと絶望感を 反転させる方法として、やられる側で憎悪を募らせ無力化されるくらいなら
やる側を選びのしあがってやる
という無力からの開放のされ方。


 映画はドキュメンタリーなので、
残忍映像も結構写し出されます

ここで私のはなしをするのアレですが、勘弁、
もともと
私は残酷なものが怖く傷付くタイプでありました
だが
なぜか
そうやって一方的に傷つけられっぱなしでいるのはどっかズルい、
と感じるようになるのです。
 もちろんズルい のは自分の方です。被害者意識を植え付けられてしまうという注意深さから
私は残酷なものを見る練習をするようになりました。
ホラーも血みどろ内蔵バーンも笑いながら見るのも怖いからです。
 この感覚もある意味先程のやられる側よりやる側になってやる
という裏返しというか
現実の罪深さを自ら引き受けている、という爽やかさがまだあるからなのである。
生きていくことは
翻弄されることであるなら
どちらが自分的にまだまし、?

まだまし、のまだ、に入るのは
やはりカッコいい(言葉が稚拙で申し訳ないが)の成分が自分として濃いと思うのはどっちと思う?
と自分に問う選択であると思う。

バカであれ。

結局
狂っている場所では
バカであることが自分を肯定できる
一番の安心だとしたら

バカみたいに殺されて
バカみたいに殺して
バカみたいに憎悪して
バカみたいに皆殺し
バカみたいに循環してナルコ・コリードという
メロディとリズムに換わる

還る、結局蛋白質が分解される人体なのに

バカみたいに
高級住宅なみのデカイ墓が建ち並ぶ一帯がある
そこは所謂、霊園みたいな地域なのだが、そこに建つ教会みたいな墓は
カルテルの顔役だったが殺されたやつらが金に物言わせて造った個人の墓
なのである。
もはやそうとうエッジのたったギャグである。
でもやつらからしたらマジである。
世は片方の価値観で推し量れやしないどちらもそれはそう、なのであり、
つまりは切実な自己表現の一部だよな(泣)

さて、話ぜんごする
そもそも
メキシコの麻薬のほとんどすべてが
米国内で使用されている
麻薬中毒者は圧倒的に米国内に多い

メキシコの麻薬密輸は米国の存在があるからこそ存在している

らしい。

そして
この映画の後援をイスラエル大使館がやっているのもなんかよくわからんが人間世界はほんとぉにオモロイなぁと。

結局この映画をみてわかったのは
わからない、わたしにはどうしたらいいのかわからない
ただわたしはわたしでがんばって
死ぬまでいきるからともに
死ぬまで生きよう。てことしかなかったという。

でもこんなに悲惨なのに
作品として ちゃんとかっこいい
と思いました。悲惨なのに生きてるとユーモアが扮出せずにはいられない人間が描かれていて淡々と血が全身に流れる鼓動のように
やるよな、やりやがるよな人間は 
ってな
何かに、打たれた。


『皆殺しのバラッド』





















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