桜坂劇場で会員更新した際に
頂いた無料券が二枚たまってた
ので
センジツ
『シンプル・シモン』スウェーデン映画
と
『グレート・ビューティー』イタリア映画
を見てきました。
外国映画見るのちょーひさしぶりなキがする( ̄▽ ̄;)・・偏ってますね〜アタシノ映画の見方‥
エイトレンジャー8回見に行くなら
他の映画見に行けるのに( ̄▽ ̄;)
なのにやっちゃうんですよね
もはやエイトレンジャー詣り
ですよね 願掛け?とかね 修行かもしれないし、やっぱ寺に御参りいく感覚
あ、それは置いといて(ごめんねエイト☆丱)
シンプル・ シモン
の
原題は
I rymden finns inga ka″nslor
←スウェーデン語で
“宇宙には感情が無い”
という 意味らしい
シモンは
アスペルガー症候群 と診断されていて、他人の感情を読み取ることが不得手、そのため、
自らをこの地球/人間社会 という場所で生活させていくアイデアとして、 “宇宙空間に漂う衛星ロケットに乗ってる“てい”” で生活している。
で、
もう混乱してお手上げなときは
実際にその衛星ロケット型のシェルターみたいな(日本人から見るとロケット型の五衛門風呂みたいにみえる‥(笑)) とこに入って数時間も籠れる!
シモンさすがの特性である!
ストーリーは
よくよく考えたら シリアス?というか 「あちゃぁ・・」感がそこはかとなく漂う場面もあるが、
あるが、でもさ、なんだろう? 例えばさ、スケール(ものさし)ってやつはそれぞれ何を測るかで計り方も単位も違うさ?
体重計で身長は測れんし
地球一周を本当にmeasure(メジャー)?で測ったわけじゃないさ?
みたいな感じ違うかなとかおもったのですが、、、、だから何が言いたいかというと、その時その時でわたしたちはやっぱりそれなりにどうにかしているわけで、どうにもならないときは
シモンのように 感情のない宇宙をただようことで逆に感情の外側を実は丁寧になぞって手触りがどうかちゃんと調べて実験してるんだよな
だから、拘りは強くても逆にありがちな偏見のないアスペルガーのシモンは引っくり返して回れる役目で・・
てか、兄ちゃんのサムの盲点をついて 自らの毎日の決まったルーティンでありながら実は 毎日新しいルーティンの始まりでもある こと、
また
(自分が原因で彼女に振られた)兄のために新しい彼女を作ろうと、ゲームのような実験をして見つけ出した女性に対して 実は自分のほうが惹かれていたこと(シモンの思考の中ではキヅイテなかったけどハートは反応しまくっていたでも初めての感覚いやもしかしたら感情の為これがなんなのかわからずパニクるシモン)、
彼女もまた兄の新しい彼女になるべく見合いの席がシモンによってもうけられるが、彼女もじつはシモンに対して互いのスケールの使い方に
補完性のあることで通じあった、
ということによって逆にね兄の盲点
「シモンを好きになる女性がいるわけがない」が引っくり返され、
それによって、自分がいなければシモンは生きていけない
シモンをこの社会と繋げているケーブルは自分だという気負いや悲愴感が
こう解消される
みたいな、気負い悲愴感は言い過ぎかうんそう自分と同じくらいシモンが好きな人が世の中にはいるんだ !という新しい発見をね、させてもらうわけでした!
すてきだな。
息ができるな。
見上げた先には空があるな。
宇宙には感情はないけど、感情というプレゼントについたリボンのような宇宙の光景もある、そんな世界もたまにやってくる、ていう体感は
シモンの、シモンを囲む人人の
新しい体感をきっと開いたようなキがしました。
シーンでいくと
シモンはシモンの兄と兄の恋人と一緒に暮らしているが、
普段はきっちりスケジュール通りに
暮らしている 月曜から日曜まで食べるのが毎日決まってるしかも全て丸くした料理を 決まった丸い皿にのせて食べる それもすごいけど 兄と兄の恋人がセックスしてても自分の都合で部屋に入ってくる(--;)「トイレットペーパーがないよ トイレットペーパーがないんだよ 」って(--;)
確かに 一見しんどそうではあるが だけどこれはこれでシモンの演奏する音楽だと思えば 受け止められるなアタシ、と思ったが 。
まぁ
とにかく、
見てて楽しいのは部屋の可愛さ
全ての色の可愛さ
そして、オープニングの宇宙と物理学が得意なシモンの繋がりを
ラインというか図で以て描いたところのおしゃれさというか、
まぁ多分
地元としての北欧に於ては
アレを おしゃれ枠 では捉えない のかもしれないけど、
やはりアタシにとって北欧のイメージは高いデザイン性 時に洗練時にキッチュそんな両極、白夜と短い夏をイメージさせて、なんか知らんけど懐かしい。
だからシモンのアスペルガー症候群も懐かしいキがしたのはなんの因果なんだろう?
地球の美しさかな。ケッキョク。
てことは人間の再発見か。
だってねぇ?スケールを使い出てきた差異に【現在、あたしは生きている!という唄】をアレンジしてもらうのも人間の趣味だから。。
みたい、な。
以上
なんかねたぶん観ていたときに感じていた聞こえていたアタシノ生命讃歌とはアレンジちがってもーたかもしれないが、でもキした。!!!
了